音がひび割れるマイクで歌いたいという人はいないだろう。では,彼らはいったいどう思っているのだろう? なにも考えてないのかな?
作家のドロシー・ブライアント氏の書いた作家への言論弾圧をテーマにした「文筆家へのリンチ」という作品は,オンライン・ニュースレターで無料刊行される。出版社は興味を示さなかったが,あるコラムニストがオンライン出版を薦めた。読者の存在を感じられるオンラインでの作品成立過程は刺激的だとブライアント氏は語る。
トンデモな意見も含めて,ネットワークでは表した意見は自由に流通する。もちろん広まらないものもあるけど,予想していたなん100倍もの拡散をみせ,「なにか」をつくることもある。出版社や放送局など要らない,権力も資金も要らない。「氏ね」呼ばわりされたって,その人が読むところまで広がったことが大事。その,みえない力,が働いているのは,ネチズンなら誰でも知っているだろう。
話は変わる。ずっと思っているのだが,なぜミュージシャンはコピープロテクトCDに意見を誰も出さないのだろう(私の見識が狭いだけかもしれないが,平沢進氏以外に意見を聞いたことがない)。賛成なら賛成で全然構わない。苦労してつくった曲が無料でやりとりされているのは許せないという意見があるならもっともだ。レコード会社の頭の悪そうな人間がわけを説明するより,ミュージシャンが説明した方が納得する人は多いだろう。ユーザーからの意見がこれだけ出ているのに,当人であるミュージシャンが口をつぐんでいるのはおかしいを通り越して異常だ。レコード会社に飼われている犬扱いされても,別におかしくないだろう。いや,それは犬に対して失礼か。ミュージシャン(表現者)が自分の表現を伝える道具に加えられた罠に,なにも意見を持っていないのだったら,そんな表現者は死んだ方がいい。そんな表現に価値はない。
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